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日本語と【やまとことば】

日本語と【やまとことば】

こんにちはuwabamiです。こんにちは。

ここ数年、英会話やハングル語講座などいろんな外国語の教育番組や、通信講座が数多くありますよね。日常の会話の中でも、“横文字”と呼ばれる外来語が多用されています。外来語を連ねただけで会話が成り立つこともあるくらいです。

なんか日本語が片隅に追いやられているようにも感じてしまいます。そこで、今回は「日本語」について調べてみましたので聞いてください。

■日本語成り立ち

世界中の言語学者から難しいと指摘される「日本語」でありますが、そもそも「日本語」とはどういったものなのでしょうか。日本語を構成する要素は、主として「大和言葉(訓読)」「漢語(音読み)」、その他の「外来語」により成り立っています。

つまりハイブリッドな言葉なのです。

このうち助詞はすべて大和言葉であり、名詞や動詞については、大和言葉と漢語により成り立っています。そして最近では外来語も増えています。

漢語については、例えば「迷惑」や「成功」・「勉強」などのように、古代中国において用いられた言葉が日本に入ってきたときに、意味を変えて日本語として用いるようになったものもあれば、「野球」・「資本」・「酸素」など、明治以降、今まで日本になかった概念を日本語で表現する上で、漢字の組み合わせにより急造されたものもあります。

これらの言葉は、漢字から成り立った言葉としてその成り立ちがはっきりとしています。

一方で、大和言葉とは、いわゆる訓読とも言われますが、要するに漢字が日本に入ってくる前から日本に存在していた言葉のことを言います。



「うみ」・「やま」や「さくら」・「こころ」・「ちから」など、漢字を訓読するような言葉は基本的に大和言葉になります。

一方、「寿司」のように、漢字の組み合わされたものであっても、語源は大和言葉にあり、当て字として漢字を用いているに過ぎない言語であるものも、大和言葉ということになります。

「言語」とは、言語学的にいくつかの分類に分けられていて、これらの種類の上位分類を「語族」といい、その下位分類を「語派」といいます。

例えば英語やドイツ語などはゲルマン語派に分類され、「インド・ヨーロッパ語族(印欧語族)」に属しているとされています。

日本語はというと、どの語派・語族に属するか明らかになっていません。そのわけは、「大和言葉」についての成り立ちを明確に説明できないのです。

一説には、モンゴル語派などを含み、東アジアで中心に話されるアルタイ諸語(語族よりも共通性が低いものを語族にかえて「諸語」と呼びます)の系統であるとも、あるいは東南アジアの言語を中心に構成される「オーストロネシア語族」の系統に属するという説もあるのですが、文法構造、音韻、語彙などの面において“同系統の語族である”と言えるだけの証拠は見つかっていません。

しまいには、ユダヤの言語であるヘブライ語との共通性が主張されるなど、その議論は迷路の中にあり、出口はいまだに見えていません。

言語の世界地図

■漢字と大和言葉のハイブリッド

この「大和言葉」の成り立ちについての議論は、専門家の方に頑張ってもらいましょう。少なくとも漢字、漢語、仮名、大和言葉などが入り混じった我が「日本語」だからこそ専門家の方々に「日本語は難しい」と言わしめているのでしょう。

さて、日本語には大量の漢語が含まれていて、同時に様々な訓読みにおいても漢字を併用するほど、漢字(古典中国語)の影響を強く受けているにもかかわらず、どうして日本語はそのように「難しい言語」としてあり続けるのでしょうか。

一言で言うと、“大和言葉と漢字を共存させて使う”という、他言語では見ることができない日本独特の方法で他言語を受け入れたという点にあります。

これこそが漢字という他言語を受け入れつつも、自国言語を崩すことなく、むしろ自国言語のさらなる進化につながった要因です。これについて、さらに深く、日本語の発展の歴史を振り返りつつ日本語の性質についてかんがえてみましょう。



そもそも、大和文明が漢字を受け入れ始めたのはいつ頃なのでしょうか。

学校の教科書でも習うように、熊本県の江田船山古墳及び埼玉県の稲荷山古墳からは、古代にして日本を初めて統一に近い形でお治めになった雄略天皇(倭王・武)の御名である「獲加多支鹵」の文字と、それに関係する記述が漢字において刻まれた鉄剣が出土しており、少なくとも雄略天皇の治世の五世紀後半には漢字は日本に入ってきていたと推測することができます。


この鉄剣に刻まれていた漢字は、次のとおりです。

(表)辛亥年七月中記乎獲居臣上祖名意富比垝其児多加利足尼其児名弖已加利獲居其児名多加披次獲居其児名多沙鬼獲居其児名半弖比

(辛亥の年七月中、記す。ヲワケの臣。上祖、名はオホヒコ。其の児、タカリのスクネ。其の児、名はテヨカリワケ。其の児、名はタカヒ(ハ)シワケ。其の児、名はタサキワケ。其の児、名はハテヒ。)

(裏) 其児名加差披余其児名乎獲居臣世々為杖刀人首奉事来至今獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時吾左治天下令作此百練利刀記吾奉事根原也

(わたしの先祖は代々、杖刀人首(じょうとうじんのしゅ)を務めてきた。わたしは獲加多支鹵大王に仕え、天下を治めるのを補佐した。

そこで辛亥の年に、これまでの輝かしい功績を剣に刻んで記念とする。)」

この鉄剣はこれまで、「古代ヤマト王権の支配範囲が近畿だけでなく、関東や九州に及んでいた」という事実を示すものとして重大に扱われてきました。

もちろん、鉄剣そのものの価値も極めて高いのですが、それと同時に、漢字という側面から注目してください。

この鉄剣は漢字の流通時期を示すとともに、この文字そのものに注目すると、地の文は“漢文訓読体”で書かれており、同時に人名の部分については“一つ一つの漢字を表音文字”として用いていることが分かります。

これは、漢字を受け入れるかなり初期の時点において既に日本は「漢字を大和言葉と融合させる」ということをやっていたのです。これはすなわち、この日本語の音を漢字ひとつで表すという方式と、漢文訓読という方式が、日本語における大和言葉と漢字の関係性を理解する上で重要なものとなっているのです。

このように私たちが使っている「日本語」とは、もとあった言葉と外からやってきた”他言語”を上手に組み合わせたハイブリッドな言葉なのです。

英語や韓国語など他言語を学ぶことは大変いいことだとは思いますが、「日本語」をもっと大切にしたいと思います。

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少し長くなってしまいましたね。今日のところはこの辺で…
まだまだ調べていきますので、よろしければ、またお立ち寄りください。

ありがとうございました。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。(SORA2018事務局)

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